お坊さんとジャズミュージシャンは、意外と似ている

水面に咲くピンクの睡蓮 葬儀と私

葬儀の仕事を長くやってきて、前からなんとなく思っていたことがあります。

お坊さんとミュージシャンって、意外と似ているんじゃないか。

もちろん、宗教家と音楽家なので、やっていることは全然違います。

でも、葬儀の現場でいろいろなお坊さんと接していると、仕事のあり方というか、妙にミュージシャンと重なって見えるところがあります。

僕自身、ジャズミュージシャンとして演奏しながら、葬儀の仕事も長くやってきました。

だから余計にそう見えるのかもしれません。

修練して、呼ばれた場所で本番をする

お坊さんは読経などを重ね、葬儀や法要の場でお経を読む。

ミュージシャンも普段は楽器を練習して、ライブやレコーディングになれば演奏する。

普段積み重ねているものがあって、呼ばれた場所に行って、その場でそれを人前に出す。

この構造が、僕には結構似ているように見えます。

もちろん、お経とジャズを同じものだと言っているわけではありません。

ただ、普段やっていることを積み重ねて、本番になったらその場で出す。

そういう意味では、ミュージシャンとして見ていて妙な親近感があります。

お布施とギャラ

もう一つ、似ていると思うのがお金の話です。

ミュージシャンは演奏をしてギャラをもらう。

葬儀では、お坊さんにお布施を渡す。

もちろん、お布施と演奏のギャラは意味も性質も違うので、同じものではありません。

でも葬儀の現場で仕事をしている側から見ると、「その場に呼ばれて、自分が身につけてきたものを提供する」という部分に、どこか共通するものを感じます。

そして、同じように見える仕事でも、人によってその場への向き合い方が全然違う。

これは音楽の世界でも同じです。

焼香する人が200人いても、お経を読み続ける

以前、参列者がかなり多い葬儀がありました。

焼香する人が200人くらいいたと思います。

当然、全員が焼香を終えるまでには時間がかかります。

そういうとき、お坊さんによって対応は違います。

時間になれば予定どおり読経を終える方もいれば、参列者の焼香が終わるまでお経を読み続ける方もいる。

僕は葬儀屋なので、その違いを現場で何度も見てきました。

どちらが正しいという話ではありません。

宗派や式の進め方、時間など、こちらからは分からない事情もあります。

ただ、そういう姿を見ていると、ミュージシャンの演奏にも少し似たところがあるなと思います。

決められたことをきっちりやって終える人もいれば、その場の空気や客席を見ながら、少し先まで行く人もいる。

同じ曲を演奏しても、同じ仕事をしても、人によって全然違う。

その人がどういう姿勢でその場にいるのかは、意外と伝わるものです。

木魚を聴いても、リズムが気になる

これは完全に職業病だと思いますが、葬儀でお経を聞いていても、僕は音楽的に聞いてしまうことがあります。

木魚のリズムが気になったりする。

鈴の入るタイミングが気になったりする。

読経のテンポが途中で動いたりすると、それも気になる。

もちろん僕は仏教音楽の専門家ではないので、そこで行われていることを音楽理論として説明できるわけではありません。

ただ、音楽をやっている人間の耳には、どうしても「音」として入ってきます。

木魚を聞きながら、

「結構いいグルーヴだな」

と思うこともあります。

たぶん普通の葬儀屋は、そんなことを考えながら聞いていないと思います。

お経のメロディーが結構好き

お経って、ずっと同じ音で読んでいるわけではありません。

節がついているものもあって、聞いているとかなりメロディックに感じることがあります。

僕は結構あれが好きです。

もちろん宗派によって全然違いますし、僕には意味が分からない部分も多い。

でも、意味が分からなくても、音の動きとして面白い。

ジャズも少し似ています。

ジャズを知らない人が聞いたら、

「今、何をやっているんだろう」

となることがあると思います。

でも、分からなくても何かを感じることはできる。

お経もジャズも、何をやっているのかよく分からない

葬儀でお経を聞いている参列者の中には、その内容を全部理解しているわけではない人も多いと思います。

僕も分からないことだらけです。

でも、だから意味がないということにはならない。

ジャズも同じで、コード進行やアドリブの仕組みを知らなくても、演奏を聞くことはできます。

「何をやっているのかよく分からないけど、なんかいい」

ということがある。

むしろ音楽には、そういう部分がかなりあります。

説明できることだけが、受け取っているもののすべてではない。

目に見えないもの

葬儀と音楽の両方の仕事をしていると、結局どちらも、目に見えないものを扱っているところがあるように感じます。

音楽は、演奏が終われば音そのものは消えてしまいます。

手元に物が残るわけではない。

でも、その場で聞いた人の中には何かが残ることがある。

葬儀の現場でも、それに近いことを感じます。

もちろん、宗教と音楽は別のものです。

ただ、目に見えないものが人に何かを残すという点では、僕の中ではどこかつながっています。

僕のアルバム『Zero and One』に収録している「Place」という曲も、そういう、言葉ではうまく説明できないものを考えていた時期に作った曲です。

全部を言葉にしなくても、音でしか伝わらないものがある。

もし興味があれば、聴いてみてください。

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